音楽理論っておいしいの?

こんにちは。

最近つくづく思うのですが、音楽って言語とそっくりですよね。

地域によって特色がでるところとか、かなり身近なところにあるのに、”理論”ってなると途端に難しそうに感じるところとか・・・

科目としての”国語”や”英語”の授業で”文法”ってのを勉強しますが、そもそも、言葉って文法ありきじゃないですよね。

言葉があるから文法があるわけです。

音楽も同じ。理論があっての楽曲ではなく、人類の歴史の中で作られた楽曲から見出されたのが音楽理論

言語習得と学問としての音楽って通ずるところがありそうです。

 

言葉って勉強というより感覚で習得してきてるので、実は音楽理論って勉強する意味無いんじゃない?と思いたくなる気持ちも・・・わからなくはないです。

日本で生まれ育ったのであれば、会話の中で国文法を常に意識することはないでしょうから。

 

でも、論文とかレポートって嫌ですよね?

「別に、嫌じゃないけど」って言えるのは、国文法の習熟度に自信がある、もしくは、間違わない、ハズレを引かない方法をよくよく知っている方でしょうか。

 

楽譜を読んで楽器を演奏したり、コードに合わせてアドリブで弾いてみたり・・・このあたりはどちらかというと”会話”ですよね。何を話すかを考えるより、まずは相手の話をよーく聞くことが大事。

それに対して、”作曲”っていうのはまさに”作文”。

そう考えると、理論の習熟度に自信が持てる、もしくは、はずさない作曲方法をよくよく知ってたほうが良さそうじゃないですか?

これが、音楽理論がおいしいのか、おいしくないかの分かれ目でしょう。

 

論文やレポートを引き合いに出すと、作る音楽もお堅いイメージがつきそうです。なんというか、オリジナリティが消えたり、作る曲がみんなおんなじになっていったりしそうです。

そういう人は、なんとなく、試験勉強とか得意そうです。要領よく1冊の内容をしっかり覚えていく・・・効率的です。

ただ、試験のためではない、ある意味本当の意味での”勉強”には、大体同じことが言えそうですが、1つの内容について1つの考えにしか触れなければ、やはり、知識や考え方に偏りがでてきてしまいます。

 

と、ここまで900字近い前振りとなりましたが、当ブログは、

自由自在な作曲を我が物にしたい自称大学生

が、幅広く音楽関係の本を読みながら、時間をかけて少しずつ、人に伝える(アウトプット)という最強の勉強法を使って音楽理論を学んでいくという内容になります。

 

端的に言うと、読書感想文をたくさん書きます(笑)

 

ついでに文章力も上げられたらなぁ・・・

 

それでは。